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和歌懐紙「山家花」

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柳沢堯山公筆 柳沢保光は文人大名の家に生まれ、初めは名が安信でした。 明和4年将軍に初めて謁見するとともに従五位下造酒正の官職を与えられており、和歌の名手で将軍夫人の師範を勤め父信鴻の血を受けて俳諧も好んでいます。 茶の湯では松江藩主の松平不昧公や姫路藩主の酒井宗雅公と親密な交友をもちました。 安永2年には家督を相続して郡山藩十五万石の第三代藩主となっています。藩主時代は最初、保明、晩年が保光という名で通しています。その間明和5年甲斐守、安永8年従四位下の官位官職が与えられています。 文化8年隠居剃髪後に号した堯山が知られています。文化14年1月20日に65才で江戸新堀邸にて没した。天災地変が多く苦しい治世であったと思われます。 この軸の箱甲書きは松平甲斐守保光候御歌之物蓋裏は文化6年己巳年中秋 休方拝領となっています。 緑色の料紙に金彩で横棒状に花喰鳥と雲どりに銀彩で霞を描いた上に自詠の題が       山家花 越(を) 保光  以登飛那累いとひなる (いとふ世間をさける)  人免も止ふやひとめもとふや (隠遁しているような所に) と遊からと (都といなか) 花に可多類ゝ はなにかたるる  者流能山佐と はるのやまざと  と和歌が書かれています。  保光は38年間の治世のうち公儀御用や病気で江戸にとどまった滞府などを除き、あわせて16回帰国し、15回参府しています。 そして多くの茶人宗匠と交友をもちながら千家流の侘茶にも熱心に究明して石州流堯山派をおこしました。 軸裂地は文人表具で上下中廻しとも白地綾織小葵文、風帯一文字蜀江錦です。軸先は本桑撥です。武家文人らしい威厳のある裂地で本紙とよくあっています。 江戸時代後期  紙本             休方拝領箱 全体縦131cm/横64cm  本紙縦36.3cm/横49cm     

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