





十二代吉左衛門・弘入作
青楽の敷瓦で惺斎宗匠のお好みとなっております。横には橘と桜の紋が金彩で彫り込んでいます。
惺斎宗匠は碌々斎宗匠の長男で1892年に不審庵の家督を継ぎます。年少のころは茶道不振の時代でしたが、明治の後半から大正にかけての茶道隆盛期を迎え、美しい豪華な好みの道具を数多く残しています。
敷瓦は、表千家七代如心斎天然宗左が大徳寺寸松庵の花壇の瓦をもらいうけて、鉄の丸釜風炉の下に敷き与次郎の阿弥陀堂釜を取り合わせて、名残りに用いたのが始まりだとの事です。
敷瓦は鉄風炉に用いる陶磁器製の板で、楽焼の敷瓦は如心斎が七代楽長入に命じて、青楽で前一方に金の唐草を入れた四角の瓦を造らせたのが始まりです。前欠き鉄風炉に青楽の敷瓦が定番となっています。
弘入は、安政4年に慶入の子として生まれました。幕末明治の茶道不振の時代を苦労してよく耐えて明治35年46歳の時、父慶入が死去しましたが、そのころから茶道も盛んになりました。昭和7年67歳でお亡くなりになりました。
弘入の印は特徴があり、「8楽」印といって、「幺」が「8」の字になっています。
この敷瓦の裏にへら目をいれて、きっちりと印がおされています。
横の金彩と青楽の釉薬がきれいで、とても良い状態です。
共箱
サイズ 28.6cm×27.3cm×高3.5cm
※商品写真はできる限り実物の色に近づけるよう加工しておりますが、お客様のお使いのモニター設定、お部屋の照明等により実際の商品と色味が異なる場合がございます。